今年も去年に続いて、新聞に掲載された大学入学共通テストの世界史B・日本史Bを解いてみました。



世界史・日本史とも91点でした。受験勉強(そもそも受験ではありませんが)を全くしていない人間(日本史に関してはそもそも高校で履修していない)が9割とれるというのはテストとして適切なのか、という意見もあるかもしれませんが、それはテストによって何を評価しようとしているかによると思います。


世界史も日本史も、細かい知識の詰め込みではなく、歴史の流れについての基本的な知識を踏まえた上で、提示されたデータや史料を読み解く能力、いわば「歴史リテラシー」を見ようとしていることが、問題からわかります。そういうテストであれば、なんの準備もしていない人間でも、ある程度は得点出来るでしょう。また、このようなテストのあり方は「大学入学共通テスト」という性格からすれば妥当なものだと思います。受験生からすれば、暗記の負担は昔より減りますが、問題を前にして考えなければいけない点に苦手意識を持つ人もいるかもしれません。しかし、いずれ忘却が避けられない知識の詰め込みより、歴史リテラシーを身につけることのほうが、将来的に役に立つことは確かです。「歴史は暗記科目ではない」というのが大学入学共通テストの問題作成者たちのメッセージではないでしょうか。


ついでにと言ってはなんですが、漢文の問題になった白居易の文の書き下しと現代語訳をしてみます。


問、自古以來、君者無不思求其賢、賢者罔不思効其用。然兩不相遇、其故何哉。今欲求之、其術安在。

臣聞、人君者無不思求其賢、人臣者無不思効其用。然而、君求賢而不得、臣効用而無由者、豈不以貴賤相懸、朝野相隔、堂遠於千里、門深於九重。臣以爲、求賢有術、辨賢有方。方術者、各審其族類、使之推薦而已。近取諸喩、其猶線與矢也。線因針而入、矢待弦而發。雖有線矢、苟無針弦、求自致焉、不可得也。夫必以族類者、蓋賢愚有貫、善悪有倫、若以類求、必以類至。此亦猶水流濕、火就燥、自然之理也。


問ふ、古より以来、君たる者 其の賢を求むるを思はざるは無く、賢なる者 其の用を効すを思はざるは罔し。然れども両つながら相ひ遇はざるは、其の故 何ぞや。今 之を求めんと欲すれば、其の術 安くに在りや。

臣 聞く、人君たる者 其の賢を求むるを思はざるは無く、人臣たる者 其の用を効すを思はざるは無しと。然り而して、君 賢を求むるも得ず、臣 用を効さんとするも由無きは、豈に貴賤 相ひ懸たり、朝野 相ひ隔たりて、堂 千里より遠く、門 九重より深きを以てならざらんや。臣 以為へらく、賢を求むるに術有り、賢を弁ずるに方有り。方術なる者は、各 其の族類を審らかにし、之をして推薦せしむるのみ。近く諸を喩へに取れば、其れ猶ほ線と矢のごときなり。線は針に因りて入り、矢は弦を待ちて発す。線矢有りと雖も、苟くも針弦無くんば、自ら致すを求むるも、得べからざるなり。夫れ必ず族類を以てする者は、蓋し賢愚 貫有り、善悪 倫有り、若し類を以て求むれば、必ず類を以て至ればなり。此れも亦た猶ほ水の湿に流れ、火の燥に就くがごとく、自然の理なり。


問題:古来、君主たるもので賢者を登用したいと思わない者はおらず、賢者で君主の役に立ちたいと思わない者はいない。それなのに両者が出会うことができないのは、どういう理由なのか。もし今、賢者の登用を実現しようとすれば、その方法はどこにあるのか。

私も、「君主たるもので賢者を登用したいと思わない者はおらず、賢者で君主の役に立ちたいと思わない者はいない」と聞きます。それでいて、君主は賢者を求めても得られず、臣下は君主の役に立とうとしてもその方法がなくかなわないというのは、両者の身分の差、朝廷と在野の立場が懸隔していて、君主のおられる堂が千里よりもさらに遠く、その門が九重よりもさらに深くにあるからにほかなりません。私が思いまするに、賢者を求めるには方法があり、賢者を見分けるにも方法があります。方法というのは、賢者のグループをそれぞれ詳しく明らかにし、彼らに推薦させるというものです。身近な例でたとえれば、糸や矢のようなものです。糸は針によって布に入り、矢は弦のおかげで放たれます。糸や矢があったとしても、もし針や弦がなければ、自分で力を発揮しようとしてもできないのです。そもそも必ずグループを利用して賢者を求めるというのは、グループには賢愚において一貫するところがあり、善悪において同等の者がおり、同類を求めれば必ず同類のものがやって来るからです。これもまた、水は湿っているところを流れ、火は乾燥しているところに燃え広がるようなもので、自然の道理なのです。


「夫必以族類者、蓋賢愚有貫、善悪有倫」のところがうまく訳せません。ただ全体の内容としてはややこしいことはなく、大意がつかめれば設問には解答できるように思います。白居易の受験勉強の内容を現代の受験生に解かせるという趣向が洒落ているといえば洒落ていますが、当の受験生たちはそれどころではないでしょう。